~自己啓発的blog~仏法を学ぼう!これが私の生きる道☆。.:*・゜

自分の為、家族の為の、自己啓発のためであり、本気で、宿命転換をする私の足跡🐾❤

惰性を打破

惰性を打破

最近めっきり聖教新聞に目を通さなくなってしまった。一時間の唱題は続いているが惰性を感じずにはいられない。本日よりまた先生のご指導を求め、惰性の信心から抜け出すべく行動したい。

本日の聖教の名字の言、「相手の幸福を祈ることです」

まず、実践します。

毎日のように、先輩は家を訪ねてきた。話は聞き流す。時には居留守を使った。半年が過ぎたころ、パタリと来なくなった。“やれやれ”と思った。が、気にかかる。先輩は病に倒れ、入院していた

▼数日後、手紙が届いた。「元気になったら、また会いに行くから」。仕事や家庭のことで悩みながら、励ましの行動を続けていたと人づてに聞いた。“そこまで大変だったのに、来てくれていた……”。先輩の思いを理解した青年は発心。今、県青年部長として、「一人」を徹して大切にする

▼仏の別名を「能忍」という。人材育成は、地道な粘り強い積み重ねが肝要だ。育てる「側」が必死に祈り、「忍耐」と「慈悲」の心で献身してこそ、人は育つ。広布の人材を見つけ、はぐくむ労作業は、最も尊い「仏の仕事」である

▼池田名誉会長は語っている。「相手の幸福を祈ることです。祈りは必ず通じる。祈られた人は、必ず祈る人の境涯に包まれ、善の方向へと向かうものです。必ず仏縁を結んでいける」

▼境涯を高めることが、人材育成の根幹だ。人材の拡大は、広布の未来を決する。だからこそ、自身の「人間革命」に挑戦する日々でありたい。「人材を育てる人」こそ、「真の人材」である。

腹六分の人間関係

「腹六分」の人間関係(十界論の観点から)

「言うなれば他人さまの余計なことに首を突っ込まない。「腹六分」の人づき合いがいいということなのです。たとえ親、夫婦、兄弟、恋人同士でも自分以外の人間とつき合う時は「腹六分」にすべきなのです」(美輪明宏『世なおしトークあれこれ』PARCO出版 143頁)

美輪さんは、「腹八分」ならぬ「腹六分」の人間関係をすすめています。

ベタベタした人間関係は、いい人間関係にならないと言われています。

相手の悪いところは見ない、言わない、聞かないようにすべきとのことです。

「腹六分」といってもどのように捉えていけばいいのか。

いろいろ考えてみたところ、十界論を使うのがよいと思われます。

つまり、相手の仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界、天界、人界の六つと付き合い、相手の地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の四つとは付き合わないということです。

相手の素晴らしい状態(仏界)、人のために尽くす状態(菩薩界)、芸術的感性に優れた状態(縁覚界)、学識のある状態(声聞界)、喜んでいる状態(天界)、冷静な平穏な状態(人界)を努めて観るようにし、その部分と接点を持つようにすることです。

反対に、相手の怒った状態(地獄界)、欲望まみれの状態(餓鬼界)、愚かな状態(畜生界)、むやみに喧嘩をする状態(修羅界)は、確認し、認識しつつも、それらに振り回されないという生き方が求められます。

「腹六分」といっても、どの六分を取ればよいのか、どの四分を除外すればよいのか、上記のとおり、相手の生命状態を基準に考えれば、はっきりします。

これは、自分自身にもあてはまります。

自分の生命状態を努めて仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界、天界、人界の状態にしておき、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の生命状態が出てきた場合、注意をし、改善に努めるということですね。

どの人間にも十界があるということですので、相手のよい六分と付き合うことができますから、一応、理論上は、どの人間とも付き合うことができるといえます。

ただし、実際には、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界が身に付いてしまっている人々が多く、付き合う人を吟味する必要性は高いですね。

誰とでも付き合うことは困難です。

やはり、選択ということが求められます。

類は友を呼ぶということですので、邪な人々から身をかわしながら、自分自身は良い生命状態になるよう精進することが肝要です。

十界論

十界論(生命の状態)

仏教において、生命の状態を10種類に分類したのが十界論です。

自分の生命状態がどのような状態かを把握する際に参考になる知見です。

自分自身を客観視することができます。

① 地獄界 何事に対しても苦しむ最低の生命状態です。

怒りの状態に囚われているという特徴があります。

② 餓鬼界 欲望にまみれており、その欲望が満たされていない生命状態です。

人のものをむやみに欲しがるという特徴があります。

③ 畜生界 獣と同レベルの本能のままの生命状態です。

何が正しいか間違っているかの判断ができず、強い者には媚び諂い、弱い者をいじめるという特徴があります。

④ 修羅界 争いや競争を好み、勝とう勝とうと焦っている生命状態です。

勝ち負けにこだわりすぎ、表面を繕うことことに熱心で、心がひん曲がっているという特徴があります。

⑤ 人界 通常の穏やかな生命状態です。

物事の判断が正しくできるという特徴があります。

⑥ 天界 欲望が満たされ喜んでいる生命状態です。

ただし、その喜びもそう長くは続かず、ほどなくして消えてしまうという特徴があります。

⑦ 声聞界 物事を聴き理解する学識のある生命状態です。

知識人、学者、評論家、文化人と言われるような人々をイメージすると理解しやすいでしょう。

⑧ 縁覚界 感覚が優れ、縁によって独自に道を切り開いていける生命状態です。

画家、音楽家などの芸術家や、プロスポーツ選手などのアスリートなどの人々をイメージすると理解しやすいでしょう。

⑨ 菩薩界 自らを磨きながら、人のため、社会のために貢献しようとする生命状態です。

家族のために家事等を行う主婦などの人々や社会において仕事をしている人々が該当するといえるでしょう。

⑩ 仏界 最高、完全な悟りの生命状態です。

どのような状況であっても自由自在であり、強運をも兼ね備えた状態といえるでしょう。

仏教ですから目指すべき状態は仏界ですが、なかなか仏界に至るというのは難しいものです。

また、仏界だけに囚われるのではなく、十界すべての生命状態を活かしていくという姿勢の方が重要です。

十界論

十界論(生命の状態)

仏教において、生命の状態を10種類に分類したのが十界論です。

自分の生命状態がどのような状態かを把握する際に参考になる知見です。

自分自身を客観視することができます。

① 地獄界 何事に対しても苦しむ最低の生命状態です。

怒りの状態に囚われているという特徴があります。

② 餓鬼界 欲望にまみれており、その欲望が満たされていない生命状態です。

人のものをむやみに欲しがるという特徴があります。

③ 畜生界 獣と同レベルの本能のままの生命状態です。

何が正しいか間違っているかの判断ができず、強い者には媚び諂い、弱い者をいじめるという特徴があります。

④ 修羅界 争いや競争を好み、勝とう勝とうと焦っている生命状態です。

勝ち負けにこだわりすぎ、表面を繕うことことに熱心で、心がひん曲がっているという特徴があります。

⑤ 人界 通常の穏やかな生命状態です。

物事の判断が正しくできるという特徴があります。

⑥ 天界 欲望が満たされ喜んでいる生命状態です。

ただし、その喜びもそう長くは続かず、ほどなくして消えてしまうという特徴があります。

⑦ 声聞界 物事を聴き理解する学識のある生命状態です。

知識人、学者、評論家、文化人と言われるような人々をイメージすると理解しやすいでしょう。

⑧ 縁覚界 感覚が優れ、縁によって独自に道を切り開いていける生命状態です。

画家、音楽家などの芸術家や、プロスポーツ選手などのアスリートなどの人々をイメージすると理解しやすいでしょう。

⑨ 菩薩界 自らを磨きながら、人のため、社会のために貢献しようとする生命状態です。

家族のために家事等を行う主婦などの人々や社会において仕事をしている人々が該当するといえるでしょう。

⑩ 仏界 最高、完全な悟りの生命状態です。

どのような状況であっても自由自在であり、強運をも兼ね備えた状態といえるでしょう。

仏教ですから目指すべき状態は仏界ですが、なかなか仏界に至るというのは難しいものです。

また、仏界だけに囚われるのではなく、十界すべての生命状態を活かしていくという姿勢の方が重要です。

題目のリズム

題目をあげる励みに、目標を100万遍と決めるでしょ。でも数えるわけに行かないので、たいていの方は時間で測ってますよね。例えば、15分で1,000遍だとか決めて1時間唱題すれば4,000遍なんて決めてます。

Metronome

そこで、唱題ツールToolsを使って見ることにしました。なんてことはないメトロノームMetronomeを活用するだけのことです。
最近では、iPhoneiPadの無料アプリで、メトロノームMetronomeが簡単に手に入ります。

これで測ると、100回/分の4/4拍子が丁度良いリズムなんです。これAnimatoの早さですね。イキイキとしたアニマートAnimato con brio ってところかな?

一往復で1回の題目になりますから、50遍/分 → 1,000遍/20分 → 10,000遍/200分になります。つまり3時間20分で1万遍になります。
このリズムが大聖堂でのリズムに近くってちょうど良いんです。それにピコピコ音(リズム音)を入れると、調子が出るんですヨ。一度お試し下さい。

祈り

真剣

「祈りは深くなければならない。祈りは希望を生み出す。祈りは強さを生み出す。祈りは智慧を生み出す。日々、真剣に祈るべきだ。」

題目

今、大事なことは祈ることだ。真剣に祈るんです。『法華経に勝る兵法はなし』

とあるじゃないか。顔が変わるぐらい祈るんです。命の底から、本気になって題目をあげるんです。そうでないと何も残らない。魔が破れないで、いくらやっても空転である。とにかく、11時間の闘いの中で、題目をあげきりなさい。題目第一でやっていこう。会合の前に題目。指導の直前に題目。そして家に帰って、また題目を上げるんです。命が変わらないわけがない。一番わかっているはずです。これしか戦いはない。題目をあげて戦ったもののみ、確信と喜びと功徳があらわれるんです。

祈りとは

祈り――それは、あきらめない勇気だ。

自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。“現状は必ず変えられる!必ず!”確信を命の底に刻み込む作業だ。

祈り――それは、恐怖の破壊なのだ。悲哀の追放なのだ。希望の点火なのだ。運命のシナリオを書きかえる革命なのだ。

自らを信じよ!卑下するなかれ!卑下は仏法への違背だ。胸中の仏界への冒涜だからだ。

祈り――それは、我が生命のギアを大宇宙の回転に噛み合わせる挑戦だ。宇宙に包み込まれていた自分が、宇宙を包み返し、全宇宙を味方にして、幸福へ幸福へと回転し始める逆転のドラマなのだ。

2004.10.10

我がふるさとは世界

朝の勤行

朝の勤行では“今日も最高の仕事をし、職場の勝利者となり、信心の力を証明してまいります”と決意の祈りを捧げるんです。それによって、自身の最大の力と智慧を発揮していくことができます。職場の勝利者になっていくんだよ。それが学会精神です。

関西 指導

朝晩の勤行の時に、まず真剣に願いをかけるのです。自分が願いたいことを順番に紙に書いて、勤行の後の題目の時に、一つずつ自分の生命に叩きこむように真剣に願うのです。

例えて言うなら、今主人の給料が三十万円から、どうか七十万円にして下さい。自分の小遣いが十万円くらいは軽く使えるような境涯になれますようにと叶えて下さい、ではなく「必ずそうなるのだ」と心に強く思って下さい。そうすると、思った事が頭から入って、自分の生命に働きかけて又、その生命が宇宙に働きかけて、願った事がどんどん叶う方向に進んで行くのです。

例えば雑誌などで素晴らしい家の写真など見て「いいな、一度こんな家に住んでみたいな。でも私は宿業が深いからあかんな。いつまでたってもこんな境涯にならへんわ」と思った瞬間、あかん、ならへん、という気持ちの方が強いため、その思いが又、自分の生命から宇宙に働きかけて凄い勢いでダメな方向に向いていくんです。宇宙と生命は一体だから良い事にせよ悪い事にせよ、自分の心に強く思った事は、全部宇宙全体に広がって、そういう色んな縁をどんどん作っていくのです。だから、素晴らしい家だな、と思ったら「住んでみたいな」ではなく「よし、自分も必ずこんな家に住める境涯になろう、なってみせる」と強く強く思うんです。その素晴らしい境涯を、しっかり生命に叩き込んで題目を唱えるのです。すると宇宙生命と自分の生命が融合して、素晴らしい境涯をどんどん作り出してくれるのです。だから、願い事を順番に書いたら、その立派な家の写真も切り取って、その上に自分や家族の写真を貼って、絶対にこういう境涯になろうと強く思って題目を上げるのです。「必ず叶います」それ程凄い御本尊様なのです。自分の願い方でどんな事でも叶わない事などないのです。願いが叶わないのは、願っている事が希望になってしまっているからです。家の中でも家族の人達と決して喧嘩してはいけません。色々つまらない不満が、宇宙全体に働きかけて、いつまでたっても一家和楽の幸せな家庭など望めないからです。明日の朝からは勤行一字一字胸に刻み込むようにして行って下さい。自分が宿命転換出来るのに一番大切な事は勤行なのですから絶対他の事など考えながらしないように、一日でも早く宿命転換して最高の幸福境涯をつくって下さい。

題目

一日三千編の、お題目をしっかりあげなさい。勤行は信心の一番の基本です。

今いいかげんな勤行をやっていたら、十年、二十年後には必ず失敗する。

それが子供に出て来たり、家庭に出て来たり、個人の立場で、いろんなところに波及して行く。

自分の信心をちゃんとやって行かないと、どんなに頭が良くても薄っぺらな葉っぱみたいになってしまう。そういう人は信心の鎧を着ないで増上慢の鎧を着ている人は勤行一つにしてもはりがない。そういう人は要注意だ。

学会の組織についていろいろ問題があるというけれども根本の一切の原因は勤行そのものである。

本当に勤行をし、実践した人は、学会を築いて来た人達の悩みと苦しみを自然にわかってくるものだ。題目をあげ、勤行をし、学会の悩みを知って行こうという気持ちがなければ批判になってしまう。

毎日三千編の題目をあげていこう。

その一日三千編の題目があがると生命の回転が始まってくるのだ。

生命が綺麗になってくるのだ。

三千編の題目があがると学会のリズムになってくる。常な三千編あげればそれだけ生命力が豊かになり、それ自体が行力になって来る。題目をあげて魔を打ち破っていこう。

仏道修行で一番優しいのは題目だ。

又、仏道修行で一番難しいのは題目だ。

しかし、一切の勝利の源泉、福運の源泉は唱題にある。

『自分をつくるのは、結局、自分である。

その自分とは、せんじつめれば一念である。一念とは、具体的には祈りに集約される。地涌の勇士としての"誓願の祈り"こそ、自己を限りなく向上させ、活躍させ、完成させていく原動力である。

誓願ー。

尊き使命のわが人生、何を誓い、何を願って生きるのか。その奥底の一念通りに、一生は展開する。他のだれのせいでもない。だれに責任する必要もない。

大聖人は「自体顕照」と仰せである。

妙法の光は、わが本然の姿を照らし、顕してくれる。輝かせてくれる。この"わが生命に生ききる"人生ほど、幸福な人生はないのである。』

『希望の明日へ』より

境涯

祈りが即その人の境涯を表す。信仰の根本、仏法の根本は『祈り』です。格好や役職がその人の境涯を決めるのではない。何を祈っているのか。どう祈っているのか。「祈り」が即その人の境涯を表すのです。だから大きく深く祈れる自分になっていただきたい。広宣流布を祈り皆の幸福を真剣に祈っていく。そこに自分の幸福も含まれる。その祈りに大きな福運が積まれて行くのです。菩薩は自分が救いを得る前にまず衆生を救う誓願を立てる。人を救う「祈り」と「行動」が先にくる。それが菩薩行です。私はいつも全世界の会員の健康と幸福を真剣に祈っています。また断じてそうさせていくとの決心で激励を重ねています。

◆新人革 潮流

朝の勤行では、“今日も最高の仕事をし、職場の勝利者となり、信心の力を証明してまいります”と、決意の祈りを捧げるんです。それによって、自身の最大の力と智慧を発揮していくことができます。(略)職場の勝利者になっていくんだよ。それが学会精神です。

◆新聞 全国代表者会議

上手な話をするよりも、もっと大事なのは、まず、同志の幸福を祈り、広宣流布の勝利を祈りきることだ。その深き祈りを込めた声の響きが、皆の胸を打ち、歓喜の渦を巻き起こすのである。

池田先生 指導

最も苦しんでいる人が、最も幸福になるための仏法です。人生の上でぶつかる困難は、信心の次元から見れば、すべて意味がある。必ず大きく境涯を開くチャンスとなる。勇気ある祈りを忘れなければ、断じて勝利できる。御本尊は勝つためにあられる。こう確信し、祈り切るのが信心です。

“鐘をそっと打てば小さい反響しかない。大きく打てば大きく反響する!”

講義する私の胸には、常に戸田先生の声が響き渡っていた。ともあれ「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。全身全霊で祈りをぶつけていけばよい。なかんずく広宣流布のため、異体同心で祈り抜き、祈り切る。

その時、十方にあまねく諸天が動き、護る。豁然(かつぜん)として活路が開かれる。叶わぬ祈りは絶対にないのだ。

池田先生

目標は明確に。祈りは具体的に。一念の力は無限だ!勝利のために心を合わせよ!

池田先生

祈り―それは、あきらめない勇気だ。自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。「現状は変えられる!必ず!」確信を命の底に刻み込む作業だ!

池田先生

大宇宙の天体が運行しゆく根源の力が、南妙法蓮華経である。どれほど、すごい力であるか。我らは、この偉大なる妙法を持っている。最も正しく、最も力強い妙法の音律を唱えている。これほど強いものはないのだ。絶対勝利の唱題である。負けるわけがない

苦境に陥った時こそ、祈って、祈って祈り抜くんです。弘教に邁進し、広宣流布のために戦い切っていくんです。その時こそが、宿命打開のチャンスなんです。

戸田先生 指導

「題目は、真剣勝負で祈れば、必ず功徳となって現れる。真剣に祈れば、雑念は消え、広布の戦いで勝つことに集中できるようになるのだ」勝つための仏法だ。1年365日、強き祈りを根本に、すべてに勝とう!

どんなことも、遠慮なく祈るのだ。広宣流布への願いは、大きいほどよい。行き詰まっても、そこから本当の力が出るのだ!

「朗々と妙法を唱え抜き、感激に燃えて戦うのだ!『本当にありがたい!うれしい!』―この燃え立つ信心があれば、祈りは叶うのだ」私たちの唱える南妙法蓮華経は、「大宇宙」と「わが生命」とを貫く、根源音律である。広布に戦う喜びと感謝にあふれた、燃え立つような祈りは、己心の「仏界の力」をわき立たせるとともに、全宇宙の諸天・諸仏を揺り動かしていくのだ。その祈りが、叶わないわけがない。

本当の決意を込めた題目をあげよ!

題目は利剣である。題目は宝剣である。

題目で勝つのだ!」何と力強い言葉か。題目こそ、最極の勝利の利剣である。

戸田先生は、こうも言われていた。

「信頼や友好を結ぶのは、簡単なことではない。しかし、誠実に、人の三倍の努力をすれば、必ず心は通じる。その地道な戦いこそが、最も堅実な勝利の道なのである」

友情こそ、人生の宝である。自分から心を開いていくのだ。気取らず、飾らず、どこまでも誠実に、信頼の心を通わせていくことである。ともあれ、日蓮大聖人に連なって、真剣に、妙法を唱えゆく我らには、「無作三身如来」の生命が滾々とわいてくる。「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(759)―ありのままの自分を伸び伸びと輝かせていける。ここに妙法の偉大さがある。

戸田先生質問集より転載

[質問]:御本尊様にすがるということはどういうことでしょうか。もう少しくわしく教えてください。

題目というものは大事なものであります。数の多いほどけっこうなことであります。ただし、私が御本尊にすがりなさいということは、私も説明がたりませんでした。それをはっきり申し上げておきます。これは「主師親(しゅししん)の三徳」と申しまして、仏は、主人と親と師匠の徳をもっているのであります。大御本尊様は、この三徳を兼備していらっしゃるのであります。そこで、すがるということは、親にすがるように題目を唱えては「この小児マヒの子供をなおしてください」「私はいま、貧乏で困っております」「お父様どうかお願いいたします」と、そしてまた、題目を唱えては「ご主人たすけてください」そして題目を唱えるたびに、題目を五へん唱え十ぺん唱えしてはたのむ。「お師匠様、私によい方法を教えてください。こんなに貧乏していては困ります」「うちのだんなは競輪ばかり行って困ります。なんとかいい方法を教えてください」と、主人と親と、お師匠様にすがってたのむように、御本尊様にたのむことをすがるというのです。この純真な心から信心をすれば、また折伏もできるのであります。長い時間やったほうがいいとか、二時間やったほうがいいとか、功徳があるとか、そんなのは形式であります。御本尊様へ、ほんとうの心でぶつかっていくのです。お父さんたのむ、ご主人様たのむ、お師匠様たすけてくださいという、その熱意、その心情が、信心に現れてこそ、医者もなおせない病気がなおるのです。

苦境を成功に転じ、苦悩を成長の糧にする。変毒為薬  難即悟達

そのため信仰である。逃げずに、今いる場所で立ち向かうと決め、知恵を発揮していくことだ。

戸田先生は、こうも言われていた。

「信頼や友好を結ぶのは、簡単なことではない。しかし、誠実に、人の三倍の努力をすれば、必ず心は通じる。その地道な戦いこそが、最も堅実な勝利の道なのである」

友情こそ、人生の宝である。自分から心を開いていくのだ。気取らず、飾らず、どこまでも誠実に、信頼の心を通わせていくことである。ともあれ、日蓮大聖人に連なって、真剣に、妙法を唱えゆく我らには、「無作三身如来」の生命が滾々とわいてくる。

「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(759)―ありのままの自分を伸び伸びと輝かせていける。ここに妙法の偉大さがある。

◆勤行・唱題は、自分自身と大宇宙とが交流しゆく儀式なのです。御本尊を根本として、自分という『小宇宙』の中に『大宇宙』の生命力を、生き生きとくみ上げる作業が勤行です

◆御書と師弟

一切の根本は、御本尊への真剣な祈りにある。御本尊は、勝つためにあられる。これが私の大確信でありました。

「祈り」とは、観念ではありません。燃え上がる生命の勝利の炎です。この一念があれば、祈った瞬間、生命はすでに勝っている。「百千万年くら(闇)き所にも燈を入れぬればあか(明)くなる」(1403)と仰せの通りです。これが万人に開かれた人間革命の実践です。新年を晴れやかに出発された皆様のように、「目標」を立てて、生まれ変わった決意で前進することも偉大な「未来の果」をもたらす「現在の因」です。

広布の目標に、「よし、戦うぞ!」「断じて勝ってみせるぞ!」と挑む。この「現在」の深意の一念が、「因」となって境涯が開け、不可能をも可能にしていく力が発揮できるのです。私も、この師子奮迅の連続闘争で勝ってきました。どうか、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経と」(1143)唱えに唱え抜いていってください。

◆「唱題は、自他共の十界の生命を妙法の大光で照らし、誰もが本来具えている仏の大生命を引き出し、輝かせゆく人間革命の修行なのです」

「題目を朗々と唱える時、大宇宙の息吹を伸びやかに呼吸し、大宇宙の律動を、我が血潮に脈打たせながら、満々たる生命力を漲らせることができる。そして、この命を使って人のため法のため社会のため未来のために思う存分、貢献していくのだ。」


命を磨く

辻武寿先生_命を磨く

南無妙法蓮華経がわいて出てくるんです。わいた南無妙法蓮華経をいかに染み込ませるかが大事ですね。

大事な大事な自分の中の南無妙法蓮華経がわいたらそれを大事に大事にずっと染み込ませていくんです。

頭の中まで染み込ませて脳みそまで届くとノイローゼが治る。

目玉の芯までお題目が染み込んでいくと目が見えてくる。緑内障白内障が治ります。開目抄。

胸の中までぐっと染み込んでいくと心臓が丈夫になる。乳がんや肺がんが治る。

お腹の中までお題目が染み込んでいくと、子宮がんや胃がんが治る。

手の先、足の先までぐーんと染み込ませるとリュウマチ冷え性が治る。

血液の中までお題目を染み込ませていくと血圧が下がる。白血病が治る。紫斑病が治る。

腰の中まで染み込むと腰が痛いのが治る。

骨の中まで届くと脊髄カリエスが治る。椎間板ヘルニアが治る。

そういうことです。

自分の中の南無妙法蓮華経を丁寧に深く深く染み込ませて、中から命を磨いているのが勤行です。

深く染み込まないと功徳が出てきません。384ページ。

深く信心を発(おこ)して日夜朝暮に又(また)おこたらず磨くべし

何様(いかよう)にしてか磨くべき

只(ただ)南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを

是(これ)をみがくとは云うなり。

(一生成仏抄:384

一緒に言ってください。

深く信心を発(おこ)して

日夜朝暮に又(また)おこたらず磨くべし

何様(いかよう)にしてか磨くべき

只(ただ)南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを

是(これ)をみがくとは云うなり。

 

日夜朝暮に又(また)おこたらず磨くべし

朝晩の勤行をしっかりやって、命を磨いて、題目で中から磨くんだよってことです。

中から磨くのは勤行。外から磨くのをお化粧っていうんです。

両方から磨くのを創価学会っていうんです。外からだけ磨くのを謗法っていうんです。

謗法の人は中に故障が起きたら追い出せないんです。

お医者さんに行っても行き場がない。

医者が「あと3か月ですよ」って言ったらもう終わりだ。

それ以上相談することがないんです。

ところが御本尊を拝んでたら中から磨く。

いかなる病(やまい)障(さは)りをなすべきや

(経王殿御返事:1124

だから、どんな病気でも治る力がわいてくるわけですね。

これだけは治せませんっていう例外がない。何でも持ってこい。何でも治せる。万能ですから。

そういう力がこの中にあるわけですね。

医者ができないと言っても治っちゃうんですから。 

だから正行って。どんなことよりも善の行いですから。南無妙法蓮華経は。正行って。

 一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり

四条金吾殿御返事:1143

お題目をあげてる時は「中から命を磨いてるんだ。磨いてるんだ。私の命が御本尊と同じになるんだ。

もったいない、ありがとうございます。ありがとうございます。」って磨いてるかどうかなんです。問題は。

命というのは色心という。顔形と心と両方です。

離すことはできません。でも顔と心は違うんです。

離すことができないけど同じだから

色心不二(しきしんふに)っていうんです。

顔も自分で見ることができない。心も自分で見ることができない。

顔を自分で見ることができる人がいたら手を挙げてもらいたい。ないでしょう?

で、顔を見るときには向こうに鏡を置くわけです。

向こうに鏡を置くと自分の顔がよーくわかるわけですね。

「私はこうゆう顔してんだな。やっぱり私は美人だ」って自覚するわけですね。

だけど鏡は心まで浮かべてくれない。顔は浮かべるけど心までは出してくれない。

心を磨くことができるのが御本尊。だから、ありがたいんです。