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希望の大空へ
第1回 いっしょに進もう
(2012.05.01 少年少女きぼう新聞掲載)
「少年少女きぼう新聞」の誕生、おめでとう!
少年少女部の「王子王女」のみなさんこそが、私の一番の「希望」です。
ですから、この新聞は、私にとっても、何よりの宝ものです。
私は、若いころ、師匠である戸田城聖先生のもとで、子どもたちのための月刊誌をつくっていました。
「おもしろくて、ためになる」内容にしようと、一生けんめいに努力しました。
それを読んでくれた方が、立派な社会の指導者となって、今でも、うれしいお便りをいただくことがあります。
私は大好きなみなさんと、この「きぼう新聞」をつくっていきたいと思います。この新聞を読んだみなさんが、未来に向かって、「希望の大空」を悠々と羽ばたく姿が、私には、はっきりと見えます。
みなさんは、「先生」という言葉のもともとの意味を知つていますか? 「先」に 「生」まれた人という意味です。そのなかでも、勉学や人生などの大事なことを教えてくれる人が、「先生」と呼ばれるようになりました。
私にも、小学校の担任の先生をはじめ、お世話になった先生方がたくさんいます。なかでも、私にとって「一番の先生」は、戸田先生です。ほんとうに、たくさんのことを教えていただき、感謝の思いでいっぱいです。
戸田先生は、「後生おそるべし」という、中国の言葉が大好きでした。これは、「後生」つまり「後」から「生」まれてくる若い人たちは、今からの努力によって、どれほど偉大な人になるか、はかり知れない。だから、最高に尊敬すべきであるという意味です。
そして、その通りに、「後生」である私たち青年を、最大に愛し、大切にしてくださいました。
戸田先生は、よく言われました。
「君たちは『後生』だから、『先生』よりも偉くなれ」と。
今、私も、まったく同じ思いです。
みんなが、立派になり、偉くなるために、「先生」の私はいます。
一番大事な君たちが成長するためならば、私は何でもして差し上げたい。
晴れわたる5月の青空のもと、花々が咲き、鳥が歌い、チョウが舞う道を共に散歩するような気持ちで、語らいを進めていきましょう。
みんなが元気に、楽しく、学校に通えるように、毎日毎日、私は真剣に祈っています。
私の小学校時代は、暗い戦争の時代でした。働きざかりだった4人の兄は、次々と戦争にとられていきました。戦争が終わってから、大好きだった一番上の兄の戦死を知りました。その時の母の悲しむ姿は、忘れられません。
戦争には絶対に反対です。かわいいみなさん方には、あんな時代を断じて経験させてはならないと、私は心に決めて戦ってきました。
わが家は、父が病気でした。生活も大変でした。でも、母は、ほがらかに「うちは貧乏の横綱だ」と笑いながら、みんなを明るくはげましてくれました。
私は体が弱かったのですが、うんと早起きをして、家の海苔づくりの仕事を手伝ったり、新聞配達をしたりしました。その時、体をきたえたことが、やがて世界中をかけ回れる土台になりました。
つらいことも、悲しいことも、たくさんありました。それでも、今、振り返ってみると、子どもの時には、それはそれは苦しく思えたことも、大人になると自分の大切な歴史として思い起こされます。
「あの時がんばって、ほんとうによかったな」と思えるものです。
どんなに大きな悩みであっても、人間は必ず乗り越えられる。このことを、みんな、心におぼえておいてください。
小学校時代の友だちのことは、いくつになっても忘れられません。
大人になってから、思いがけず町で再会して喜び合い、のちに一家で学会員となった友もいます。
いつまでも、どんな立場になっても、「○○ちゃん」と呼び合える小学校時代の友だちは、一生涯の宝です。
私にも、なつかしい友だちとの思い出が、いっぱいあります。
寒い寒い冬の日のことでした。
風邪を引いていた級友のために、何人かの男の子といっしよに学校のストーブに火をつけました。実は、勝手に火をつけてはいけない決まりになっていました。
そこへ、とつぜん、担任の先生が入ってきて、私だけが見つかってしまいました。
「ろうかにかってなさい!」
「ハイ!」
私は、他の子のことは言いませんでした。しかし、教室を出ようとする私を見て、仲間が次々と、「ぼくもやりました」と言って、みんなでろうかに並びました。
先生にしかられて、立たされているのに、なぜか、みんなニコニコしているのです。
しばらく後で先生が、私たちをご自分の家に呼んでくださいました。先生は、やさしい笑顔でした。
みんなでこたつに入って、先生から、いろんな話を聞きました。どれだけ私たちを心配してくれていたか、わかりました。
そして、先生は私たちに、ご自分が尊敬している吉田松陰の言葉を、私たちにもわかるように、話してくださったのです。
「立派な人間になるためには、よい師に学んで、恩を忘れず、よい友だちをもつことだ」
私は、この言葉の通りに生きてきました。70年以上たった今も、。変わりません。
私が信じるのは、友情です。
その友情を世界に広げてきたのが、私の人生です。平和のため! そして、みなさんが活躍する舞台を開くために!
私が、今、最も語り合いたい人はだれか──それは、この新聞を読んでくれている君なのです。あなたなのです。
未来は、誰が何といっても君たちのものです。だから──
君の中に「平和の種」がある。
君の中に「文化の種」がある。
君の中に「教育の種」がある。
君たち自身が「希望」なのです。
お父さん、お母さんにしかられる君かもしれない。うっかり忘れ物をしてしまう君かもしれない。勉強がきらいな君かもしれない。運動がにがてな君かもしれない。けれど、未来の世界にとって、君たちこそが「希望」の太陽です。
君たちと、こうして「対話の旅」に出発することほど、私にとって、うれしいことはありません。
また来月も、この「きぼう新聞」で、元気にお会いしよう!