~自己啓発的blog~仏法を学ぼう!これが私の生きる道☆。.:*・゜

自分の為、家族の為の、自己啓発のためであり、本気で、宿命転換をする私の足跡🐾❤

信仰体験

私は、

福岡県の筑豊直方市という所で
旧姓、○○家の長女として、生を受けました。

この地域は、筑豊炭田で、有名になった所でもあります。

生まれた時2度ほど生死の狭間を超えた話と、今回の家族で宿業を切った瞬間の話をします。

 

生まれたのは、祖母の家でした。

母の妊婦健診後、祖母の家へ里帰りしている事に。

昼食を食べている最中。
突然、便意と、陣痛を勘違いしてしまい、

母は、あやうく、昔で言う、

ぼっとん便所に赤子の私をおとしこむところを、

祖母の経験と機転で、四つん這いになり、はって、便所へ行く母の姿をみて、

「この中でしなさい」と。

たらいの中で誕生したそうです。

 

その後、慌てた祖母は、無我夢中で、

近所の産婆さんがいた為、

大急ぎで、へその緒を切ってもらい。

駆けつけた、

救急車に祖母と母と生まれたばかりの私を乗せ、かかりつけの婦人科へ祖母と共に、行きました。

難の一つ乗り越えた。まず1つ目の功徳です!

 

それから、丁度、生後6ヶ月を過ぎたある日のこと。
飲んでいたミルクを、全て吐き出し、

顔は、真っ青に。

母が慌てて、私の顔を覗き込んで、いると。

息は?
目だけがクルクル動いている様子だったため、

これは、ただ事ではないと思った母は、
かかりつけの小児科の病院へ。


すぐさま、

大きな病院へ転送します。と。先生より。


母は、救急車の中で、救命士の方から、
[腸重積]です。
「大変危険な状態です!」と。聞いたそうです。


病院へ着くやいなや、緊急手術します!
医師が調べた結果、

手術が成功する確率は20パーセント!
わずか、助かる見込みは20パーセントと言う、

大変に危険な状況だったそうです。

しても、20パーセント。管を通すか?小さな体に何度も管を通すことが可哀想過ぎると。

悩む中。


術後の経過観察をするも、
回復傾向は見られず、

腸は、捻れて、便が詰まったままでした。

落ち込む母、取り乱している中、
父は、落ち込んでは居られない。と、冷静に切り替え。

朝まで、題目を唱え、母も、父に釣られるように、

うなだれる気持ちを、引っ張り。

2人で、
「どうか、〇〇〇を助けてください。」
「〇〇〇に、この世で、果たす使命があるなら、

助けてください。」
と祈っていたようです。


翌朝を迎え、両親の必死の願いを受けた医師から、
「もう一度、腸に管を通してみますか?」と問われ、
「これで、通らなければ、覚悟しておいて下さい。
それでもいいですか?」と言う問いに、
母は、
「よろしくお願いします!どうか?助けてください!」
と、答えたそうです。


両親は、もし、これで、命が助かった暁には、
2人で、新聞配達をしよう。とー。

御本尊様に恩返しをするんだ!

と誓っていたそうです。

そしてー、再手術をした所、祈りが通じたのか?
成功率20%と言われた、状況で、
見事、2度目の手術で成功!奇跡的にも。管を通して、腸が機能し始めたそうです。

それからも2週間の入院中も、奇跡的に回復をみせて。
無事に、退院出来たそうです!


医師は、「この子に生命力が足りなければ、あの時点で、恐らく助からなかったでしょう!
本当によく、頑張りましたね。

あの状況からの回復力は、見事でした。」

「よく再生し、機能されました。」
と、感心し、ビックリされておられと、聞きました。

 

そのため、両親は、ご恩返しの為、

新聞配達を12年間!務めあげたと聞きました。

雨の日も風の日も、雪の日も、台風の時も、

配り続け、父が、仕事でどうしてもできない時は、

母が自転車で、私を抱えながら、配ったそうです。

わたしも、両親の姿をオボロゲに覚えています。

 

母曰く、あなたは、産まれる時に2度程

死の狭間を乗り越えて今日があるのよ。

きっと、この世で果たす使命があると思うわ。

、と言われてきました。

 

両親の無冠の友の功徳が私に通じているのでしょう。


それからというもの、
病気すら一切することも無く、健康優良児で、

元気にスクスクと病気のびの字もなく。

現在に至ります。

 

腸重積を思わせる片鱗も、見せませんでした。

その後、

24歳に愛知へそしてー、実家に戻り、また、

26歳に、東京へ

そこで直ぐに、今の旦那と出会い、

東京で共に戦って、28歳で結婚!

29歳で1人目、34歳で2人目にも恵まれました。

 

結婚する時も体験はありますが、

結婚の信仰体験は旦那さんの方が、

メインになるので、リレー体験談として、またの機会に発表たいと思います。

そしてー、下の娘が3歳のなる年の2017年の12月頃

父か?母からの電話がありました。

「実家が、競売に掛けられ、家を取られる。」

 

当初はすぐ、話が飲み込めませんでした。

 

それから、歳を明けてから2018年の

3月か?4月頃の過ぎたある日。
仕事の空き時間に、お昼食べあと、移動中の車の中で、腸重積を、思わせるような、

激痛が走りましたー!


顔には生汗、、、。

仕事を続行出来る状態では無くなって、

激痛。

体をくの字によじらせて、このまま、車を走らせては危険だと判断をし、近くに停車。
ものすごく。痛い……。尋常じゃない痛さに、

救急車を呼んで欲しくても、

痛すぎて、車を降りられず、、、。

声を上げることも出来ませんでした。

旦那へ携帯を鳴らすも、仕事中ー!

昼前でしたので、。出れるはずもなく。

本気で、

どうしようか?と思いました。
どうにか、スーパーのトイレに引きずるように、..。
お腹をさすったり、お腹の肉を持ち上げて、

腸にアクションかけてみたり、
お腹を掴んだり。引っ張ったり。

泣きながら、痛い、痛い、と、泣いていて、


気づけば、1時間は過ぎていました。
便意を感じるわけではないのですが、

しかし、おかなを下しているのは感じで分かりました。その為にトイレへ。

激痛を伴い、下痢の様な尿に近い、

軟便をオシッコのような状態で出した後。

 

なぜだか·····。一気に痛みが引くように症状が落ち着いてきました。

なんだったのか?あれは?

怖い。思い出すだけで、恐ろしい痛みが!

会社の人も駆けつけてくれましたが、

なんとか、

その日は、仕事を再開!


それから、6月、7月と経ったころ。

激痛がきました。

週に1度、という間隔になってきました。

 

食後からの、捻れるような激痛。

1時間ほど、動けない。

トイレへ、そして、同じように繰り返す。

捻れるような痛み。その為、
旦那も、大変心配しておりました。


会社を休んで、病院へ検査に行くも、

原因は分からず、
胆のうに、ポリープが2、3個ほど見つかったのですが、

それは、悪さをしておらず、

経過観察でほっといていいそうで、
診断は、「過敏性腸症候群」。

激痛を和らげる頓服と、整腸剤を貰いました。

それで、なんとか、落ち着かせていました。

激痛を伴うー下痢!

と仰っていました。なんだそれ?でした。

落ち着いた頃の、夏前にー。

九州の方は、台風や、集中豪雨で、大変な被害が、でており、心配しておりました。

実家の方も心配でしたが無事だと報告を聞きました。

 

そしてー、何気なく、

あれから、家の件は、どうなったのか?

母に聞いてみることにしました。

何度か、掻い摘んで、実家の話は聞いていたのですが、、、。
詳しく聞くと、
「実家の家と、土地全部を競売に掛けられ、
10/9までの引き下げ期日に→¥1.150万円集めないと、強制執行される。」

そういう、緊迫した状況でした。

母も、手立てを打ちながら、奔走していると。

 

詳しく調べて行くうちに分かったのですが。
この話は、遡ること10年ほど前、

私が東京で旦那と戦っている頃。

母方の兄

(私にとってはおじに当たる人)が、

土木関係の事業をしており、
当時、事業資金が必要ということで、
妹の資産である自宅(私の母名義の自宅)を抵当に、

1000万を調達することができるとそそのかされ、

母は、叔父さんに大変にお世話になっていたため、

兄弟愛の強い母は、父に相談し、父も、絶対に返済するとの約束で、母が借主!

叔父が、保証人と言う形式で、借入が成立!


(これは、今回色々調べて発覚したのですが。)
なぜ?母が借主で、なぜ?叔父が、保証人なんだと、不思議でした。

これも、名義が母の名義なので、母が借主になるなら、貸し出しますとの事。

そういう大事なことは、伏せて、借入れているので、このようになっているのです。

全くもっておかしい話です。


完全に、母は、書類関係をチェックする事を怠った結果ですが、盲点をかいくぐった、第六天の魔王が入り込んでいたんです。
突然死するとは身内誰も思いもよらず、

兄弟を信用してしまったこと。

入れ知恵された叔父は、責任もって、

返済していたそうですが、しかし、高利なので、

中々元金が減らず、800万ほど残ってしまっていると。

母から聞きました。

色々と聞く中。

私からすれば、書類関係も、金銭感覚も、杜撰すぎる。兄弟だからと信用しすぎやろっ!

大金だよ。って。思いました。


その借金が、まだ、未納と言うことで、

残り800万円残したまま突然の急死!

叔父の死をきっかけに、事の詳細が

どんどん明るみに。

更に問題が大きくなって行ったそうです。

 

余談になりますが。
相続の話になるのですが、、、。


相続は、プラス資産、マイナス資産も、

引き継がれます。

当然これも、相続人は引き継ぐ形になるのですが、

相続を中心的に請け負ったのが、

嫁さんではなく、跡継ぎの息子!

叔父の嫁さんは、随分と高齢になってきて

いたため。

相続の対応が出来ず、

従兄弟に完全に任せていたみたいです。

 

叔父の息子は、
私にとっては(従兄弟にあたるのですが。)


従兄弟は、親父のマイナスは、

全て受け入れるつもりがなく、放棄する有様!

プラスも要らん、マイナスなんか、もっと要らん。
死亡保険金だけ受け取ることに。


法律上なんも問題は無いのですがー。


そこで問題なのです!


これを、そのままにしたら、うちは強制執行され、
でも、当初、従兄弟は、知らんの一点張り。

「叔父からなんの話も聞いていない」

しかも、

そんな、不透明な借金なんかを支払う義務はない。との突っぱねる始末。


母からすれば、事実上相続人の甥っ子に、話すしかなく、

真剣に保険金で返済して欲しいと訴えていました。

 

親の問題を子供世代まで引き継がせてしまい、

本当に、叔母として、申し訳ないよね。

こんな話を聞かせてしまい、情けないわよね!

おばちゃんも蓋を空けてみて、沢山の事情が分かったのよ。

でも、この現実がある。

お願いだから、お金をいれてくれないかしら?

と。訴える。

 

一方ー。
貸主は、叔父の死亡保険金が降りてきていることを調査済みだった為、

約2000万程おりてきていたみたいですが、
「残額の800万円を一括で支払えー。」

「親父の保険金があるだろ!突っ込め!」

「知ってるんだぞ!」
などと、言ってくる始末!

 

死人に口なしと言わんばかりに、

取りっパクれに、ならないように、

執拗に取り立てる有様ー。

 

従兄弟は、「そんなの知らんわ!」
「借金なんか支払わない。」

「財産放棄してるんやし、義務は無いはず!」

「払う意味がわからない。」
と、1歩も引かず。


とうとう、貸主を激怒させてしまい。


私達家族の実家の家を、強硬手段に振り切られてしまい、
競売にかけるという!

なんとも、卑劣で、

残酷な仕打ちに出たのが事の発端だったそうです!


私と、従兄弟とは、子供の頃から、

気の合う仲でした。

しかし、この問題は、デカすぎる。

残酷な金銭問題しかも大金。簡単には折れれない。

下手に首も突っ込めず、けど、知らんぷりも出来ず、

私が、なんの責任も持てない状況で、
変に関わり持つのは、ややこしくなる可能性を秘めていました。

敢えて、葬式にも参列出来ず、遠方という理由で、電報だけ送らせてもらい。沈黙を続けていました。

 

従兄弟になんの声も掛けれないのは、

本当に辛かったです。

 

そして、
母に私のできることは、こうです。


「親世代の色々なやり取りや問題等を、

子供世代まで持ってこられても、きっと

いとこの気持ちになれば、

私だって同じようになるとおもうし、家族がいる以上、個人的な判断も出来ないよ。

それが、普通の考えだとおもうよ。

お母さん、もし、太刀打ちできずに、辛かったら、私らへの財産なんぞいらないから、あとは、両親ふたりで今後のことを決めていいからね。

と、
従兄弟の気持ちを察して、話すこと。自分の気持ちをみせて、だすこと。でした。

 

更に、難はこれでもかと来ます。

母は、お盆前の8/2に。

人工股関節の置き換えの手術も控えていたため、
実家の雰囲気は、もう、風前の灯火でした。

私その年は2度九州へ帰りました。
1度目は、お盆に3人で子供二人連れて。

父が、

陸路で、片道15時間の愛知へ車で迎えに!

サプライズで迎えに来てくれ、3人で帰ることが出来ました。

家の問題には触れず!

孫の元気な顔を見せれればとの思いで。


そしてー、問題は平行線。

従兄弟は、懸命な母の姿勢に

信頼を抱くようになり。

理解を示して行ったそうです。

どーにかして、おばちゃんにお金を残せないのか?

と考えはじめていたようです。


父の方は、3年連続して、しかも近い身内の不幸事が続くので.題目闘争を始めていました。

2017年の12月から。

3ヶ月で100万遍、2ヶ月ちょいで200万遍、ちょうど300万遍に突入した頃の10月のあたま。
事態は急展開、希望の光が刺しだしました。

 

わたしも、気づけば、心配で、心配で、遠方の愛知の地で。

御本尊の前に座る日々が続いてきました。

 

父と母に恩返しする時が来たんだ!

それが、今だ!と。祈り続けても、
それでも、心は落ち着かず、旦那へ相談し、

急遽、下の子だけつれて、決着の日を見守る為。

実家へ戻る決意をしました。


10/1に実家へ戻る手配中、
私は、ある事に気づいたのです!


母方の身内は、色々と関わりが多いのに、

父方の身内にこの真実を何も伝えなくていいのか?

ということでした。

父方の身内に、

父のこの状況をしっかり伝える方法はないのか?

と考える中ー、父の1番思い入れのある妹。

大阪の妹の叔母がいる。


なぜ?いままで、きづかなかったのか?
とおもいました。
父のピンチにどう?判断するか?も、正直、

見たかったといのが、本音でした!


そして。電話番号を聞き出し。思わず、事の次第を話していました。

意を決して、今まで起こった、

私が知りうる限りのことを正確に伝えました。


すると、叔母は、話の理解が早く、
「なぜ?今まで、こんな状況になる前に知らせてくれなかったのか?」

「このままでは時間がない。」
「家が取られるだけの話では無くなるよ。

このままでは、お兄ちゃんの生きる気力さえも奪われ、生きがいが無くなり、お兄ちゃんが早死する。」

「命を持っていかれようとしてるよ!」と。

 

事態を重く見た叔母は、九州の兄妹に号令を掛けて、「10/9までに、兄妹6人!力を合わせれば揃えられない金額ではない!」との判断で。

大阪から、九州の、姉夫婦と、

自分より下の妹達に声を掛けてくれました。

 

叔母自身も、長男の結婚式を控えているにも関わらず、速攻、保険の積立金300万円を解約しに行こうとしていました。

私に、お金をかき集める電話が、

かかってきました。

みえこちゃん、お金いくらかある?

いいえ。貯金全然なくてー。

「そっかー。」そしてー、同時に、
「美枝子ちゃんは、帰らなくてもいいよ。姪っ子の出る幕では無い。」と、言われました。

が、私は、

「いや、帰ります。私は出せるお金は、ありません。

でも、だからと言って、何も動かないのは嫌なんです。父の為、母の為に側に居てやりたい!

そして、私に出来ることはないのか?
出来ることをかんがえたいんです。」

気持ちを行動で示したい!
そしてー、
私が帰らないと、事態を動かす事は出来ないという確信もありました。

並々ならぬ覚悟を聞いた叔母は、
更に叔母として!

一緒に戦う覚悟を決めて頂けたと思います。

よし!
「分かった。」「帰るのね!」と言われました。

私は、「はい!」

「仕事の上司にも、同僚にも伝えてます!」

「もう、中部空港の搭乗ゲートの中に居ます。」

「もう、戻れません!」
「私が帰って、何ができるか?分かりません。

でも、知らんぷりする事は簡単です。

結婚して、子供もいる身ですから。でも、私は、親が大変な時に、知らんぷりで、見過ごすことは出来ない。巻き込まれるかもしれません!

それで、

離婚されるかもしれません!

でも、後悔する生き方をしたくないんです。
後悔しながら、

子供に向き合う事は出来ないんです。
出来ることは、きっとあると思うんです。」

と言い残し。


そして、中部国際空港を旅立ちました。


父方の兄妹は、父入れて、6人。
長男の父を筆頭に、成功している尊敬する弟、

そして、妹4人と続きます。


すぐ下の弟は、建築関係の事業で、

最近株式にもなり、
父と同じ業界で、頑張られております!

一族を長男代理で、守っていました。

その為、貧乏の宿業を切っていたと思います。


父の結婚を機に、

弟が中心的に兄弟達を面倒みて、

立派に成長させているという自負があったと思います。父と、弟の間で、見えない溝がありました。

 

父は、結婚後、

母の身内の広宣流布に邁進しており、

母の兄弟達が?部員さんであったということや、

建築の仕事等で関係者になったり。

しかし、母方の身内の宿業が深く。

あまりの、激務に、

実の兄弟達と疎遠になるほどでした。

真面目に、信心だけは貫き、祈りの中で、必ず、ご記念している姿を私は知っています。

 

そこで、2人の兄弟に置かれた状況の違いに、

次第に差が出はじめ、どこかで溝が出来てきたようです。

 

尾山家の弟が守ってきた、兄弟達の心に、

世間的な考えが、強くのこり。

お金至上主義になって言った感じです。

そしてー!

父と弟の2人は、

兄弟としての縁が薄くなり、すれ違って言ったようです。

 

実家の実権を握っていた弟は、尾山家の財産も、

兄弟達に、開示することなく、

詳細を見せず、相談もせず、全部、弟夫婦が管理。

 

行政の都合で立ち退きのさいに出た資金等も、およそ、概算、億単位のお金がおり、

先祖の残した山や、その他の遺産は、全部弟に、

集まって行ったそうです。

 

父は、

一言、兄を立てる気持ちを見たかったと。

そんな思いも露知らず、

着々処理を進める弟に、言葉も出ず。

ただ、黙って、

兄弟達の面倒を見てる弟を信じ、

黙っていたようでした。

 

いい顔をさせても、我慢してたんだと思います。

 

父をおもうと、

兄としてのプライド、

肩身の狭い思いをしてる父に、

歯がゆさもあり、

どんどん、父の立場を追いやっているな。

 

子供心に、父の背中を見てきました。

いつか父の真実を伝える代弁者になるぞ!

と心に決めていました。

 

これが、柱が倒れる、大事な芯が折れる。

真言亡国の、宿業なんやなー!と。

 

一家の大黒柱を倒す!

 

恐ろしい害毒を子供ながらに悔しい気持ちに変え、見せつけられていました。

 

今回も、取り巻く環境で起こった、なんとも不可思議な状況にも、胸を撫で下ろす姿。なんとも、

複雑な気持ちだったと思います。

 

真言亡国の宿業の、本丸と言うべき今回の問題!

命の次に大事な家を持ってかれるなんて、

本当にありえない!
父と母でこの問題について何度も、話合い、向き合い、それぞれの真剣に気持ちを整理する中で、
一緒に唱題を上げるようになって行ったそうです。


母も父に申し訳なく、

父の思いに突き動かされ、2人の答えは

最後の、最後まで、諦めない!

という気持ちを貫いていきました。


父がこの問題を自分の事として捉えてゆくことに、

腹が決まった時に、
両親の心がひとつになって行きました!


私の思いと、行動。

それと。

叔母の必死の兄や兄妹達に対する後押しもあり、

最後に、目上である、弟夫婦に連絡し、あとは、

見守ることになりました。そしてー、

弟の間口が広がりを見せました。

更に、母も、ここまで来たら、見栄もプライドも全て捨て去り、残された、子供、孫世代のために、

頭を下げ、謝罪し、同席していた父も、そんな、母に胸を打たれ、父も遂には、色々な事を吹っ飛ばし、プライドもすて、弟の前で、土下座をしたそうです。

これが、私が、九州に降り立つ、すうじ間前の話だったそうです。

そこで、母の訴えは、宿業に対する、訴えであったと思います。

母の泣きながらの訴えは、こうです。

「あなたのお兄ちゃんは、

なんも悪くないんです!
私の身内が起こした事なんです!

そしてー、私の兄弟達への考えの甘さが招いたことです!本当にごめんなさい!」
そこは、

「何も言い様がありません。」「でも、どうか?
お兄ちゃんを助けると思って、力をかしてもらえませんか?お願いします!」と畳に頭をこすりつけて

何度も何度も詫びたそうです!

お願いします。お願いします。と。

涙ながらに、
必死に、伝えました。

 

父は、じっと黙っていたようです。

さすがに、父も黙ってはおられず、とうとう、父も、畳に、頭を擦りつけました。


そしてー!弟は、肩を震わせ、涙ながらに。

答えました。

「分かりました。」

「あんちゃんは、何がなんでも成功してやるからな。1度やると決めたら、こちらが何を言っても、

テコでも動かない性格です!

でも、

あんちゃんが頭下げてきたら、真剣に考えようと思っていました。」と。

でも、弟の嫁は、その言葉を吐いた途端、

「離婚する!」と。しかし、弟は、嫁に、

「今回ばかりは、力になりたい。」という

気持ちを見せ、説き伏せたそうです。


そしてー、弟夫婦の結論は、
父方の弟が肩代わりしてくれる事が決まり!
準備していた金額に、

不足分の800万円を上乗せし、遂に¥1.150万を期日に耳を揃えて入金することが出来ました。

 

更に、奇跡はつづきます!
借金はしたのですが、一切金利は取りません。

とのこと。

ただ、1度だけでも、返済期日が遅れれば、

それ以降、1パーセント上乗せさせてもらうけど、

いいな?

と。

会社のお金を貸してくれたと思います。

 

1パーセントは、8万円と言うことになります。

さらに、

返済金も、自宅のローンが終わるまでは、

父の希望金額で返済していいとの事。

 

住宅ローンが、終わったら、金額上げてくれればいいよ。と。

さらに、更に、

返済開始期日も、決めていいと。

母は、熟慮した結果、

年明けを希望し、それも、分かりましたと。

 

あと、当初、保証人を、私たち姉妹2人を

希望。でしたが、

 

父はここを頑として、拒否をし。

子供達に借金は背負わせない!と。


これも、叶い、見届け人という名目で、妥協してもらえ。

契約書のサインをして欲しいとのことでした。


これも、父の祈りがかなった項目のひとつ、ひとつです。


この体験を、家族4人で乗り越える為に、

今まで信心をしてきたんだと思いました。

戦うとは何か?を私たちに見せるために、

御本尊は、宿題、試練を与えたんだと、

肌身で感じました。


私は、約1週間の滞在の中で、初日の風当たりは、冷たく、両親のこころは、ボロボロでした。
誰も、父や、母に、耳を貸すものはおらず、

兄妹たちの黙認を続けていて、

真言の害毒の風当たりなのか?

父への誤解の壁が厚かったです。

 

すぐ下の妹に、お土産を渡そうと、連絡するも。
「父と母が簡単に力を貸すから悪いのだ。」とか、
「考えが甘いすぎる」とか、
「信心してるだけでは、食っていけない。」とか。
娘の私に、両親の批判を吐くばかり。

挙句には上から目線で、

「兄ちゃんは、お金のことばかり言ってくるー。」

とー。は?!

事業資金が足りなくて、数回、少額の貸し借りはあったにせよ、

そんなに、お世話になったこともなく、

母の兄達が、個別で、訪問したらしいとは聞いたことはあるけども、直接父は聞いておらず。

イメージで、話しているようでした。

それが、引き金で、兄妹達からは、

お金に困ってるという、

レッテルを知らない間に、貼られて居たようです。

 

そしてー、最後の言葉に。

「○○兄ちゃんが片付ける、って言ってたよ。」

「頭の隅においちょこー。」と。

耳だけは貸すよ。といった始末。

お土産を買ってきたので、久々挨拶したくても。

 

「忙しいからとー。」よそよそしい態度。

 

これが、兄に対する、

本音と建前の裏腹なんだとまざまざと見せられました。

公の場では、甘える素振りして、いい所取りして。

お金を持ってる次男に、媚び、へつらい、

 

真面目で、厳しい父は、

信心一本!優しさと、真面目さと、誠実さと、温かさで、人望は厚い。

レベルが高いので人を寄せ付けないほど。

崇高な、人格。

間違ってしまうと、烈火のごとくに。雷が落ちるので、みんなは、近寄れない。ほど。

それだけ純粋なんです。

 

ほんとーに。

ふざけるな!と。真実曲げて伝わってるし、どんだけ、かるくあつかうんだと。

正直、思いましたが、姪の立場では、何も言えません。だって、世の中お金ですもの。

 

簡単に、汗水垂らして、忍辱の鎧着て必死で稼いだお宝を、信用して貸して。とは、簡単には、言えません。だけど、真実は知って欲しかった。

誠意を持って、事の重要性を伝えた上で、理解して欲しかった。

しかし、世間の風はつめたく、

取り繕うしまもありませんでした。

簡単には、動けない。こちらも承知です。

 

しかし...。酷い。

両親は、困っている叔父の力になりたいとの一心で、した事なのに、雲泥の差だと思いました。こころは、遥かに、勝っているのに、現実では、蔑まれている。悔しい。


『疫病神やら、犯罪者みたいな扱い!』
真面目一筋に、誠実に。

信心根本に、戦ってきた両親に、
何という仕打ちをするのだろうか?

知っているのだろうか?

毎日、父は、兄弟達の幸せをご祈念している姿を?と思いました。


これが、身内のやることなのだろうか?

と世間の冷たさと、

今立たされてる、両親の現実を突きつけられて、

なんでこうなるの?と、
悲しくて、虚しくて、辛くて、情けなくて、
どうしようも出来ない無念さが、

心を締め付けられました!

全然違うやん。

事実を伝える時は今だと。そう、実感しました。


そんな現状の中、

両親は、最後の最後まで、諦めることなく、

必死で祈り、戦ってる両親の姿ー。
無邪気にはしゃぐ孫を見つめる、優しい瞳。

私は、心がかきむしられるように、

くやしくて、悔しくて、たまりませんでした。

年老いてゆく両親に、

私は、このまま突き進めさせて良いのだろうか?


正しい答えとは?一体なんなのだろうか?


娘として、胸がいっぱいになりました。

 

そんな、両親の気持ちに寄り添うことを、

この瞬間!
この決着の日まで支えてゆく覚悟をきめました。

帰省初日のはなしです。


父の思いはこうでした。
「自分達が納得して、取られるならば仕方ない!」
簡単にあきらめては、はいどうぞ!とか言える問題ではないだろう。って話していました。」

その
父の思い、母の思いを受け、
私は、娘がどうこう言う領域では無いー。何か?

大きな宿命や、宿業みたいなものと、

父は、決着を付けようとしてるようでした。


母も、その姿を受けながら、

身内が、起こしてしまった罰をどう心の中で処理し、収め、父方の兄妹達に迷惑かけたくない思いもありながら。申し訳なさを抱えながらも、
家族一丸となって、仏間に行き、自然と時間があれば、お題目をとなえるようになっていました。

一家で立ち向かおう!と。

家族4人で、乗り越えるぞー!と。

決意新たに。御本尊向かっていました。

 

池田先生はご指導で、

「悪鬼入其身」の反対で、自身の生命に

梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」

「全学会員に、わが地域のすべての同志の方々の生命に、梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」

 

ーー こう祈れば、千倍、万倍の力が出る。

これが生命変革の「祈り」である。「信仰」である。人間革命への“秘伝”である。

池田大作全集91巻285ページ)

(平成12年7月18日)との御本尊に当番をたて!

家族で無心に、祈りました。


そして見事!10.9の、決着の日に耳を揃えて、

¥1150万円を相手先へ入金を果たすことができ、

取られることなくー。

父方の身内が肩代わりした形にはなりましたが、

問題はひと段落を迎えました。

 

結果、
借金はしたけれども、御本尊こら、まだまだ、やるべき、使命を与えられたと、

両親は、命を救われた様な様子でした。

 

さてー。
実家の壮絶な体験を通して、私は愛知へ戻ります。

 

自身の問題に。すぐぶつかりました!

以前から抱えていた、相手への不信感でした。

本当にこの人でいいのか?

上手くいっておらず、ずっと、10年近くたちますが、問題が燻っておりました。

 

ここで、両親に信心の実証を示す時だと!

教えて貰ったみたいで。よし、乗り越えよう!
と決めました。


はじめは、自分の祈りが出来ずに、いたところ、

朝の同盟唱題をしよう!と。母から提案があり、
6時半~7時までの30分間!
これを皮切りに、突破口が開けて行きました。


「どんなことが起きても、受け止める!
何も心配しなくていい。」「でも、祈って答えを出そうと!母は言ってくれたのでした。」


そしてー、

祈ってゆく度、

しっかりと自分の問題から逃げずに向き合い、

祈りに祈りました。

 

母は、そんな私を勇気づけ、元気づけ。

心が落ち着かない時は、話を聞いてくれたり、

時には、2時間以上も時間を割いて、

付き合ってくれました。


母は、なぜ?

それが出来るのかも、話してくれました。


「あなたに感謝があるから。」とー。

「本当に幸せになって欲しい。」


私は、母に今まで甘える時間が無かったので、

ここで、甘えると、

今まで抑えてきた感情が溢れ出てきそうになり!

そんな自分が怖くて、逃げ出しそうになりました。

 

でもそれでも、何を言われても、母は、幾度となく、そんな、私の心を大事にしてくれ、

真摯に向き合う母の姿勢に、次第に、心を開いて、母の気持ちを受け入れよう!と。

わたしも、逃げずに、

現実の自分自身の問題に取り組む事を決めました。


それから、愛知の組織で、

母と同じような関係が築けれるような

同志を見つけなさいとー。

その人と一緒に、

学会家族を築いて欲しい。

今まで家族にしてくれた分、

その地で、今度は、学会家族に。尽くして行ってー。と。いわれ、

しっかり組織に着いて、信心で、戦い、幸せになって欲しいと。いう、気持ちを感じました。

遺言のようにも取られた、母の言葉でした。


私自身の心の中に

問題があることにだんだんと気づき始めたのです。

 

私は、他人を優先してしまい、自分のことを後回し、自分の感情を消してしまう、

命がどうもあるみたいです。

他人や周りを優先させてしまい、

自分のやるべき事さえも消す。

存在さえも消す。

全て投げ打ってしまう傾向性があるので、戦うために、生き死にレベルまで全力でいく。

強い命なのか?そんな自分の命の傾向性が見え始めました。

 

私は、周りが良くなればいい。

自分は多少犠牲になったって大丈夫。

という命が、どんとん、積み重なって!

 

結果自分を大事に出来ない=家族も大事にされないということは、家庭不和にというサイクルに陥っていたようです。

まずは、足元から見直す家族は、近くて、いいも悪いも見ている存在。

だから、家族が1番の被害者になっているんですね。

 


母と愛知の組織で、共に戦っている白ゆり長さんとの連携も始まり、
母も、今では、安心したようです。


今では、祈りで気づき始めた、旦那への感謝の心で、旦那へも、包み隠さず、溜め込まず、相談するように、心を開いて、夫婦で細かい事も、

話し合いをするようになりました。

祈りは本当に相手に通じます!

 

私の祈る姿に旦那も、態度がどんどん柔和に。

一つ一つ問題に逃げずに祈りながら、

問題を話し合い、乗り越えて来ました。

 

私は、自分を大切に出来ていません。

だから、

旦那は、私の良さを知りながらも、悪さをしている所にも彼が悪役となって示してくれている。1番の

応援してくれる人だと気づいたのです。

彼は、きっと、

自分を大事にしてくれ!とー。

色々な角度で、伝えてきてるのが、

走馬灯のように心の中に巡り、

感謝に変わってゆきました。


彼は私にとって、

一件逆縁であり、

本質は、善知識な存在だったんだなー。と。

改めて思い直しました。


私は、

自分のことが1番に祈れてなかったんだと思います。

周りのことばかり。

 

今いる立場や、状況を向上していくには、
共に状況をうけいれたうえで、余力で、がんばる。御本尊に縁に付けるまで。

所が、終始、世間的な面倒におわり、御本尊に縁付ける前に倒れて、時間も、自分も犠牲になってしまい。

結果自分や家族を大切に出きず、

結局、諸問題を、片付けないまま、ギブアップして、母や、旦那、、、。友達。のせいにして。

人間関係でぶつかる理由だと思いました。

離婚や、家族とのいざこざ、友人とのけんかにしても、全部次元は、違えども、全部人間関係だとおもいます。

 

自分自身の中にある問題を悩み、真剣に祈りきれない。弱い命を滅する強さが、なく、自分の命から逃げていました。

結果、自行化他の自行が掛けてた原因の、

自分自身を本当に大切に出来てない所が、

問題だったと思うんです。


いざ、何かがあったら、

自分の問題をそっちのけで、片付ける。

それで、満足し、お腹いっぱいなり、

結局、自分自身の問題の、解決の糸口を見つけれないまま、自分の問題に辿り着かず、周りに負担を掛けてしまい、疲れさせてしまう。


問題から、目を背けても、避けても、

解決はしない。ようやく気づきました。

 

弱い命に立ち向かう、強い生命力。
1人立つ精神!

これからは、他人に向けていた戦う命を。自分の弱い命に祈りを、強めていきたいと思います。

更なる、御本尊への絶対の確信は、自分の為にも祈ることなんだと。おもいしらされました。

 

自分の問題を悩みきる。

自分のためにも必死になる。

今回は、家族の問題をきっかけに、

真剣に祈ることによって学びました。

 

家問題を片付ける中、

宿業を知るきっかけになりました。

自分自身の一凶叩きのめす為の善知識だったんだと理解出来たんです。

 

結局、周りに問題をすり替えて、解決しようとしてました。


これからは、信心根本に、

自身の弱い命に祈りを捧げて、転換できるように。努めます。

その作業の中で、

先生や同志に恩返しする番だと思います!

 


境涯革命5原則にあるように!

境涯革命五原則

一 他人に言ったら愚痴になる。

     (御本尊に訴えれば祈りになる。)

二 世法で苦労すれば苦しみが残る。

  (信心で苦労すれば喜びと福運が残る。)

三 感情をぶっつければ嫉妬になる。

  (題目で抱擁すれば成長できる。)

四 方法ばかり考えると迷いになる。

  (決意して祈ると智慧が湧く。)

五 出来ないと決めると出来なくなる。

  (やろうと決めて祈ると力が出る。)


自分のポキッと折れる命を

御本尊に祈って乗り越えようと思います!

先生の心血を注いでる大事な組織に恩返しを。


学会家族は、普通の組織と違うのは、

皆、人間革命している修行の場と捉えているところです。

ここだと思うんです。


祈り合える同志にきづけるか?どうか?

だと思います。

 

組織は、どこまでも行っても人で、あり。

人によって良いも悪いもなる。

ならば、自分の縁するところ。

仏国土にしたいです。

 


池田先生は、弟子を見捨てるなんて絶対にしない。

弟子の成長を見守り続ける。

どこまでも、弟子の幸せを祈る師匠!

宝の、
御本尊は裏切らない!

ということを学んだ1年でした。

 

最後に、
私の好きな御書「生死一代血脈抄」の一説に、


大聖人は、「自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐり往くなり」とあります。


池田先生は、この御書の解説を、
「法性の大地の上」を、

「生も歓喜」、「死も歓喜」と前進する!
大地の如く、

固めに固めた自分自身の成仏の境涯である。


その境涯を固めたら、三世永遠に輝く。
だから、今世で頑張りなさいーとー。

言われておりました。


いつも、大確信で居られることは、難しいです。
でも、そんな時、学会同志が励まし、祈ってくれる。
そして、善知識へ導いてくれる。存在がある。


皆、人間革命の途上。
時には、命が強く出て、迷惑かけるかもしれない。


でも、祈ってくれる同志の有り難さを思うと、

感謝の心で胸がいっぱいになります。

信心だけでは素直にした方が勝ちですね!

 

とは、本当だとおもいます!

 

更に仏法者が、凡夫より。辛いのもうなずけます!

だって、命の、基底部を変える

死にものぐるいの戦いがなければ、真剣にならなければ、宿命転換なんてできないのですから。

でも、今世で転換できる宝の御本尊と、学会組織があると思うと、幸せです。

自分の嫌な命を感じて嫌になる事の方が多いですが、これからも、学会家族、みんなで、異体同心で頑張りたいと思います!


今年は、決着。の年でした。
来年は、励ましの年に。したいです。


今年1年、本当にありがとうございました。

 

 

以上です。

 

後書き、、、。

今回体験発表を作るに際して、文章を作成する時に旦那の支えが大きかったです!

本当に旦那に感謝の気持ちをあらわし、

ここにありがとうと、

ここで言いたいとおもいました。

 

ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします!