相手を変えるためには
☆指導の要点☆
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全ての問題は、自分自身に悩まなければならない因があるのであって、周りは縁である。周りを変えるには自身を変えることが先決である。
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指導を受けにくる人に、良くこういう人がいます。
「主人が悪い」「姑が悪い」「子供が悪い」「幹部が悪い」「あれが悪い、これが悪い」「悪く無いのは私だけ」と思っている。(笑)
私が悪い為に苦しんでいると言ってくる人は一人もいない。みんな、他が悪いということになっている。今日も自分が悪くない人ばっかりが集まっている。(爆笑)
どんな問題でも、結果が生じるには、必ず、因と縁があります。因としての種がある。それに、縁という水を全然やらなければ育たない。また、いくら水をやっても種がなければ芽も出ない。
個々に水があります。沈殿物があれば、かき混ぜると、水が濁る。かき混ぜるというのは縁。沈殿物は濁る縁です。
夫婦喧嘩ばかりやって相手が悪いと言っている人は、「あんたがかき混ぜたから濁った」と言っているのと同じですね。
いくらかき回したって、沈殿物がなければ濁らないんですよ。沈殿物があったことに気づかないで、人ばかり恨んでる場合が多いのです。
自分自身に因があって、それが縁によって結果が生じていることに気づかない。
夫婦喧嘩やっているのは、主人から言えば「家内が悪い」、奥さんは「主人が悪い」という。「私が悪い」と言って喧嘩してる人は、一人もいない。
戸田前会長が市ヶ谷の事務所で個人指導されていた時、ある婦人が、「うちの姑は、根性曲がりで意地悪でいくら言ってもわからない」と姑の悪口をいっぱい並べた。戸田前会長は「若いあなただって中々の根性が治らないじゃないか。ましてや年とった姑さんの根性を直そういうあなたの根性がなおらないじゃないか。ましてや年取った姑さんの根性を直そうというあなたの根性が良くないよ。」と言われた。(笑)そしてコンコンと指導されてこの人が「本当にそうだ。おばあちゃんじゃない。私が悪かった」と気付いて家に帰ったところ、その姑さんも変わっていたそうです。他の問題でも同じです。
相手じゃない。子供じゃない。親じゃない。自分自身の宿命の転換が信心なんです。
「主人が、主人が…」「子供が、子供が…」と言っている間は、いつまでたっても解決しない。なぜ、主人や子供で苦労しなければならないのか…。それを考えなければならないのです。
例えば子供のことで悩む。それは自分自身が間違った宗教をやってきた害毒で子供で苦労する宿命を持ったことと、それに気づかず相手が悪いと
うらやんでいたことの現在の信心の姿勢に因がある。子供で苦労しなければならない自分の宿命を転換すれば子供は変わるのです。
子供で苦労している人は、たいてい子供が悪い、子供が悪いという。私から見れば、子供より、その親の方がよっぽど悪い。
大事なことは、自己の宿命を見つめて、その転換を祈っていくことです。
御書全集の九三〇ページを見てごらんなさい。
「小罪なれども懺悔せざれば悪道を免れず、大悪なれども懺悔すれば罪きへぬ」と。
阿闍世王のような大逆罪の人でも、心の底から懺悔すれば罪が消えていく。しかし、懺悔がなければ、小さい罪さえ消えない。本当に、自分の宿命を見つめて。過去、現在の謗法をお詫びし題目を唱え抜いていけば、転換できない罪業など無いのです。
身近な例でいうと百万円払わなければならないのに、三万円、五万円で軽く済ましてもらう。これが転受軽受です。借りたものは返さなければならない。しかし、信心の功徳で重い罪業も、全部驚くほど軽く受けながらも、最高に幸せな境涯になっていけるのです。